束芋×岡田利規
同世代から見る平成と昭和 束芋×岡田利規

2011年の第54回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館出品作家に選出された現代美術作家の束芋。2010年3月には横浜美術館において、彼女の個展『断面の世代』の開催と、チェルフィッチュの『私たちは無傷な別人であるのか?』の上演が重なった。「団塊の世代」の語と対比する形で、1970年代生まれの自分たちの世代の器用さと、その表裏一体にある薄っぺらさを「断面の世代」という語で表現するなど、束芋の表現の根底には現代性への批評感覚がある。演劇を見に、劇場にもよく足を運ぶという束芋と岡田利規との対談を実施したところ、「世代観」にまつわる話から思わぬ方向へと展開した。

束芋 : 最近、演劇が大好きなんですよ。自分ではライブペインティングとかもしないし、ライブのものって作らないんですけど、ブラスバンドでパーカッションをやっていこともあって、ライブ感には高揚します。チェルフィッチュ作品ではないですけど、岡田さんが演出した『友達』(2008年11月、世田谷パブリックシアターで上演。出演は、小林十市、麿赤兒、若松武史ほか)を見に行ったとき、アフタートークでの役者さんたちの言葉がすごく印象に残っています。「岡田さんの言うことにすごく困惑した」っておっしゃっていて。

岡田利規 (以下、岡田) : 僕稽古場で「脳みそが太ももにあると思って下さい」とか、普通に聞いたらわけわからないこと言うんですけどね。でも役者はそれがどういう意味か、わかるんですね。ていうか、わかるべきなんです。その意味がわかる役者とじゃないと僕は仕事できないんです。

束芋 : そう、たしかにどういうワークショップをしたのかとか、アフタートークでの話を聞くとすごく抽象的にも受け止められるんだけど、それが伝わってくるんですよ。パッと聞いたら抽象的でも、すごくリアルに身体に伝わってくる言葉だと思いました。

― そこに「リアル」を感じられるかどうかというのは、世代や文化によっても違いがありますよね。

岡田 : 確かに。ちょうど最近、中国や韓国の作家も招かれた文学フォーラムが九州で開催されて、僕も出席して、リアルの違いを実感しました。僕は「恋愛と文学」というシンポジウムに参加したんですよ。昔にくらべて恋愛がどんどん「劣化」している、だから恋愛文学も困難になっている、という認識がなんとなく共有されていたんですけれども、僕としては、自分たちが生きている現実の状況は作家としての自分に与えられた固有の条件なのだから、それを引き受けて書くという立場です、という話をしたんですね。でもそれにはほぼまったく共感が得られず(笑)。その場では結局、みんなもっと恋愛をしよう。男女が出会わないことには、恋愛小説は生まれない、みたいな話で落ち着いてしまってですね。僕としては結構びっくりだったんですけど、でもそういう感覚がリアルな人もいるわけで、いい経験でした。

束芋 : 私も、自分の作品には昭和への憧れというか、過去に対しての憧れがあるんだけど、作品で描いているものは自分にとってのリアリティでありたいと思っているんですね。写真家の川内倫子さんと対談したときにハッキリわかったのが、川内倫子さんは、平成をベースに写真を撮られている感じがするんですよ。チェルフィッチュからも同じように、すごく平成を感じます。平成の真ん中にいて、平成をベースに平成のリアリティを描いている。私は、平成の中にいて、昭和とか団塊の世代の熱い部分に憧れて、空想をベースにしながら、平成のリアリティを描いていると思っていて。

岡田 : 昭和に対する思い自体が束芋さんのリアリティだということですよね。それについて言うなら、僕は団塊の世代への憧れというのはほぼ全くないんですね。そんな熱い世の中だったら僕は生き抜けなかったと思うから生まれた時代を間違えなくてほっとしてます。ただし、今の現実に何の不満もないかというと、もちろんそんなことはないわけです。それでも僕は今をすごく肯定したいんですね。この社会を肯定できるかといえばそれは疑問ですけど、現代という素材を使って力強い何かを作ることはできる。それをもって、今を肯定することとニアイコールとしたい、という感覚はあります。

束芋 : 世代によって選ぶ言葉が違っても、意外と同じ方向を見ていたりしますしね。最近、父親と話していて気づいたんですけど、父はすべてプラスの言葉を使うんですね。この前、「逃げる」「逃げない」ということを題材に話をしたら、父は「家族という守る存在があるから僕は逃げない」といったんですね。それに対して私は、「家族と一緒に逃げてほしい」。「逃げる」という言葉は、団塊の世代にとってマイナスなんですよ。そういう言葉を使うことが団塊の世代の人の神経を逆なですることを知っていながら、私はその言葉を使うんですね。私の純粋な気持ちを探っていくと、「逃げない」という言葉は使えないんです。「逃げる」ことにも前向きの姿勢というのが私にもあって、その部分というのが、だんだん話していくと、父親の「逃げない」という言葉の内容と私の「逃げる」という言葉は、向かってる方向は一緒だということがわかる。世代が違ってもゆっくり話すことでお互いに共通している部分が見えてくるし、コミュニケーションを重ねることでいろいろなことが変わってくるんじゃないかと思いますね。

― 演劇やアートなど表現は違っても、観客や鑑賞者との「コミュニケーション」の部分は共通しています。

束芋 : 演劇、アート、という垣根がなくなっているといわれますけど、やっぱり垣根はあると思うんですね。分断する垣根ではなくて、私にとっては、見る側が受け取るときに整理してくれるグリッドみたいなもので、それがなくなってほしくない。表現する側としては、このグリッドを超えてはいけない、とか考えてはいけないんだけど、そのグリッドの存在を意識しながら、ちょっと超えてみたりできたら理想ですね。

岡田 : そのとおりだと思います。僕がおもしろいと思っているのは、自分が“ザ・演劇”の賞である岸田戯曲賞をいただいてしまったことですね。それによって僕は演劇というカテゴリーの中に普通に入れてもらえているんだけど、そうでもなければたぶん僕がやってることは演劇と見られていないだろうと思うんです。「あれは演劇っていうか、美術寄りのパフォーマンの人たちでしょ」って言われているというパラレルワールドを容易に想像できますし。だから岸田賞いただいたのは、事故ですよね。そのおかげで「演劇」という色眼鏡で見てもらえてる。それはすごくおもしろいことですよね。

束芋 : 私も一緒かもしれない。「これはアートじゃない」っていわれたりしますから。アニメーションを使うことで映像クリエイターとかメディアアーティストと言われたこともある。それには何か違うと感じていたんですけど、最初にいただいた賞が、現代美術の賞 (1999年のキリンコンテンポラリーアートアワード最優秀賞) だったのですごく救われたんですよ。

岡田 : それって完全に僕らと同じですね。すごいエレガントな結論に達したなあ。