小金沢健人×岡田利規
制作現場のスピードとグルーブ
小金沢健人×岡田利規

『ゾウガメのソニックライフ』でポスターやフライヤーに使用されている色鮮やかな4パターンの画像は、現代美術家の小金沢健人が手がけた映像作品『拡張の瞬間の持続』のキャプチャー画像だ(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]にて、2月27日まで開催されているグループ展『みえないちから』に出展中)。日々目にする風景や動きを解釈して再構成した映像作品や、ドローイング、インスタレーションなど、メディアを自在に横断しながら作品を発表するアーティストとして、小金沢はベルリンを拠点に制作活動を続けている。2007年に発表された岡田の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で装丁を担当して以来、交流のある2人が対談を行った。初めてチェルフィッチュのリハーサルに訪れた小金沢に、まずその感想を聞いた。

小金沢健人 (以下、小金沢) : 稽古というものを初めて見たのですが、“作ってる現場だ”という強い印象を受けました。あらかじめ想定していたわけではないことをどんどん拾っていくスピード感がすごいですね。演じさせておいて、それを見ながら次の手を考えるという。今日は同じシーンを何度もやり直していましたが、岡田さんが本当は何を気にしているのか、違いがわからないくらい、細かい指示を出されることもありました。そして台本がまだ固まっていないということにも驚いたんです。自分の作品制作のプロセスでも似たようなやり直しを繰り返しますけど、自分の場合はひとりで作っているので、違和感があっても、丸呑みにして進めばいいんですが、岡田さんの場合は、俳優たちと問題を共有しながら作るわけですよね。それは難しいだろうと思いました。

岡田利規 (以下、岡田): でも、俳優に対して説明することが、自分に対しての説明にもなるんですよ。自分はこういうことをやろうと思っているんだ、というのが見えてくる。それを自分ひとりで確認しようとすると難しくて、俳優たちという他者に話すことで自分の考えていることを再認識できるという部分も大きいです。

―最初に出会われたのが、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』の装丁でした。

岡田 : 本が出るときに、新潮社の担当編集者のかたが、僕の本には小金沢さんの作品を装丁で使用したいと案を温めていて、僕もすごくいいアイデアだと思って、使わせていただきました。装丁としても気に入ってますし、一見静かに、しかし激しくずれてるというか、おとなしく狂っているというか、小金沢さんの作品のそういう部分が好きですね。

小金沢 : チェルフィッチュの舞台も含めて岡田さんの評判は耳にしていて、興味も持っていたんですけど、小説のゲラを読んだときに初めて岡田さんの作品に直接触れたんですね。読んだときに、意外と古風な感じがしたんですよ。“新しい小説”という評判から、文体のスピード感でグイグイくる感じなどをイメージしていたので、それとは違って、読み手の認識の深さを測りながら言葉を展開するような人なんだと感じました。

岡田 : いやあまったくそのとおりですね。僕の小説の文章は、全然スピード感ないですよね。リズムで押してくる文章って、僕、頭に入って来なくて、読んでても内容を把握できないんですよね。不得意なんです。だから当然、そういうのは書くこともできないんですけど。

―「書く」「読む」というのとはまた別に、言葉には「話す」という側面もあります。

小金沢 : 岡田さんが俳優に説明をするときに、比喩を使ったり、概念的な表現で伝えたりするじゃないですか。そういう風に作っていくというのがすごくうらやましいと思いましたね。僕の場合は言葉を使わないから、とりあえずいじってみた素材とか現象とかの、即物的なリアクションに対して、また黙って投げ返す、という淡々とした作業の繰り返しなんです。ビジュアル的なしりとりみたいなものですけど、相手が俳優だと、言葉の喚起力で、芝居が突然飛躍することもあるんだろうなと。

岡田 : 僕としては、今回はもうちょっと物語を書こうと思ってたんですけど、結局あまりそうならなかった。作るときに言葉を使うかどうか、というのと似てると思うんですけど、何を作りたいかということと、どういうお話を作りたいかというのは別なんですね。何を作りたいか、というのが先立ってるんですよ、僕としては。そこに物語を与えるとなると、物語ができるときもあるし、できないときもある。物語を書きたければ、最初にテーマや何をやりたいかなど考えないで、お話を書きにいかないとダメなんですよ。

小金沢 : 今回の稽古で感じたのは、役者に説明をするときに、“手の動きがこうなって”とか、“顔をこういうふうに伸ばして”とか、すごく具体的で細かいことも言いますよね。観客は、細部について、かなり小さなサイズまで焦点を合わせられるようにできている。でも全体を見ようとすると少しぼんやり見なくちゃいけない。舞台上にいくつか違う世界があるようなんです。焦点をマクロとミクロのあいだで、往復させていると、同じ俳優なのに違う人みたいな印象になるんです。どこかを見てると、他のどこかを見逃す感じが、今まで見た舞台よりも強い感じがしました。

岡田 : 5人の役者が別のマテリアルとして、5個の物質が存在しているような舞台を作りたいと思っています。『三月の5日間』などで“キュビスティック”と評されて、そういう見方をされるのもおもしろいと思っていたんですけど、もっと外に行きたくなったんですね。キュビズムだと、マテリアルはまだ同一じゃないですか。だから、ロバート・ラウシェンバーグのコンバインみたいに、素材自体が違うものが組み合わさってる感じが欲しいと思ったんです。

小金沢 : 異質なものがペロっと貼りつけられたような感じですか。そこで衣装を変えたりなどはせずに、舞台上にレイヤーを作ると。

岡田 : そうですね。ドラマの中で立つか、アクティングエリアの中で立つか、観客との関係において立つか、全然意味なく立つか、そういった立つ意味の違いでマテリアルが変わってくるんじゃないかと思っていて。ある場面での中心となる人物というのはいるんだけど、残り4人のボリュームを下げてその中心人物に観客の視線を集めるようなことはしたくない。5人全員が正直なままで、ボリュームを下げたり遠慮したりしないで、みんなひたすらボリュームを上げっぱなしのまま舞台を構成したいですね。